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名古屋地方裁判所 平成7年(ワ)2797号 判決 1997年8月29日

原告

加納一夫

ほか一名

被告

岩切千洋

ほか一名

主文

一  被告らは、連帯して、原告らに対し、各金二三五三万三六〇三円及びこれらに対する被告岩切千洋は平成七年七月三〇日から、被告上井戸宏は同年九月九日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用中、参加によって生じた部分はこれを二〇分し、その一を原告らの負担とし、その余を補助参加人の負担とし、その余の部分はこれを二〇分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは、連帯して、原告らに対し各金二五〇〇万円及びこれらに対する被告岩切千洋は平成七年七月三〇日から、被告上井戸宏は同年九月九日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、同乗していた普通乗用自動車がトンネル内側壁に衝突したために、車外に投げ出されて死亡した被害者の遺族が、右自動車の運転者に対し民法七〇九条により、同車の保有者に対し自賠法三条により、それぞれ損害賠償を請求した事件である。

一  争いのない事実等(1ないし3の事実は争いがない。)

1  被告上井戸宏は、平成七年三月二一日午後一時一五分ころ、普通乗用自動車(名古屋八八せ六一六八。以下「本件自動車」という。)を運転し、長野県塩尻市大字旧塩尻中央自動車道長野線上り車線を走行中、運転を誤ってトンネル内側壁に衝突し、その結果、同乗していた加納貴晃を車外に投げだし、即死させた(争いがない。)。

2  被告岩切千洋は、本件自動車の所有者である。

3  貴晃は、昭和四四年一二月三日生まれで、死亡当時二五歳であり、被告岩切が経営する名古屋市東区東桜二丁目一三番三二号所在のホストクラブ「ヴィヴィアン」においてホストとして勤務していた。

4  原告加納一夫は貴晃の父、原告加納文枝は貴晃の母である(甲三)。

二  争点

1  被告岩切は、本件自動車の運行供用者か。

(一) 被告岩切の主張

被告岩切は、スキー旅行に行くという貴晃から依頼されて本件自動車を貴晃に貸与したものであり、スキー旅行の立案、費用負担等には一切関与せず、他方、その間、スキー旅行に同行する吉田治美から同人所有の普通乗用自動車(以下「吉田所有車」という。)の貸与を受け、右旅行の間、吉田所有車を自由に使用していたものであるから、本件事故当時、被告岩切は本件自動車の運行供用者ではなかった。

(二) 原告らの主張

被告岩切は、自己の従業員等に対し、スキー旅行というその使用目的を知った上で、二日間という約束で本件自動車を貸与したのであるから、本件事故当時、本件自動車に同乗していなくても、また、旅行計画の詳細を知らなくても、本件自動車の運行供用者である。

2  貴晃は、自賠法三条の他人に該当するか。

(一) 被告岩切の主張

被告岩切は、貴晃から依頼されて本件自動車を貴晃に貸与したものであり、スキー旅行の立案、費用負担等に一切関与していないのに対し、貴晃は、本件自動車を借り受けるにつき、被告岩切から若い者には運転をさせないように念を押されていながら、帰途被告上井戸に対し運転を代わるように指示したものであるから、被告岩切に本件自動車に対する運行支配があるとしても、それは間接的、潜在的、抽象的であるところ、貴晃の運行支配の程度、態様は、はるかに直接的、顕在的、具体的であるから、原告らは、被告岩切に対し、貴晃が他人であることを主張することができない。

(二) 被告岩切補助参加人の主張

貴晃らが行ったスキー旅行は、遊興を目的とした私的旅行であること、本件自動車の借主は貴晃であること、同旅行の立案から実行に至るまで終始貴晃が主導的役割を果たしていたこと、他の同乗者に対して貴晃はリーダー的存在であったことなどからみて、本件事故当時、貴晃は運行供用者の地位にあったものであり、また、被告岩切は、右スキー旅行には一切関与していなかったし、本件自動車を貴晃に貸与するに際し、被告上井戸等の若い者に運転させないようにと念を押したにもかかわらず、貴晃はこれを無視し、被告上井戸への運転交代を指示し、本件事故を惹起するに至ったことに照らせば、貴晃の本件自動車の運行に対する支配の程度、態様は、被告岩切のそれに比較してはるかに直接的、顕在的、具体的であったから、原告らは、被告岩切に対し、貴晃が他人であることを主張することができない。

(三) 原告らの主張

貴晃が被告岩切と本件自動車の貸与について話し合ったことがあったとしても、貴晃は当初から本件自動車を運転する意思はなく、運転免許証も運転に必要な眼鏡も携行せず、スキー旅行の往路は吉田治美が運転し、帰路は、当初吉田が運転し、途中から被告上井戸に代わったものであり、右交代の時、貴晃が被告上井戸に運転を代わるように話したとしても、それは、何らかの権限によるものではなく、吉田に対する配慮から友人として行ったものに過ぎないから、貴晃は、本件自動車の運行を支配していたとはいえず、同車の運行供用者ではない。

仮に、貴晃が本件自動車の運行供用者であったとしても、被告岩切の運行支配が直接的、顕在的、具体的であるのに対し、貴晃のそれは、間接的、潜在的、抽象的で、運行支配の程度は低いから、貴晃は自賠法三条の他人に当たる。

3  過失相殺

(一) 被告らの主張

被告上井戸は、左ハンドルの本件自動車の運転に全く慣れていなかったにもかかわらず、スキー旅行中のリーダー的存在であった貴晃から運転の交代を指示され、これを断り切れず運転したものであり、貴晃は、自らの損害の発生を自ら招いたものであるから、大幅に過失相殺すべきである。

(二) 原告らの主張

被告上井戸は運転免許を有し、交通事故の前歴はなく、左ハンドルの自動車の運転経験も有しており、また、本件事故当時は元気で、自ら運転の交代を申し出たものであるから、貴晃には過失はない。

4  損害額

原告らは、本件事故により、貴晃は、逸失利益五四一〇万七五五〇円(ホストとしての一〇年間の逸失利益四一九九万五八〇〇円、有限会社早乙女からの四五年間の給与逸失利益一二一一万一七五〇円の合計額)、慰謝料二〇〇〇万円の損害を被った旨主張し、被告らは、右主張を争う。

第三争点に対する判断

一  争点1について

1  証拠(甲八ないし一二、証人吉田治美、被告岩切千洋)によれば、次の事実が認められる。

(一) 本件事故は、ホストクラブ「ヴィヴィアン」に勤務する貴晃、被告上井戸、中野聡寛、小山暢彦と、貴晃と結婚を前提とする交際をしていた吉田治美、中野の愛人の井之坂絹江の六名が、ヴィヴィアンの休業日を利用して、前日から長野県栂池スキー場に一泊の旅行を行った帰途に発生した。

(二) ヴィヴィアンは、平成四年一二月に開店したが、貴晃と小山は開店当初からその従業員であり、中野は開店の約一年後に同店に就職し、被告上井戸は、貴晃から勧誘されて平成七年三月一日にヴィヴィアンに就職し、右就職と同時に貴晃の居宅に転居していた。

貴晃は、ヴィヴィアンにおいてホスト中第一位の営業成績を維持しており、約一五名のホストの中でリーダー的な存在であった。

(三) 貴晃は、本件スキー旅行に出掛けるにつき、被告岩切に対し、行き先を告げた上、左ハンドル、コラムシフト構造で定員六名の米国製キャンピングカー(シボレー・アストロ)である本件自動車の借用を申し込み、被告岩切はこれを許諾した。

被告岩切は、本件スキー旅行には、貴晃のほか、中野、小山及び井之坂が参加することを知っていたが、貴晃が行くのであれば、吉田と被告上井戸も参加するであろうと考えていた。

(四) 本件スキー旅行の参加者のうち、自動車の運転免許を有する者は、貴晃、吉田、被告上井戸、井之坂の四名であった。

貴晃は、日ごろ、左ハンドルのポルシェを運転しており、吉田は、大型自動車の運転免許を有し、約四年間トラックの運転手をした経験があった。

被告上井戸は、平成六年五月に運転免許を取得し、運転歴は一年未満であり、国産の乗用車を所有していたが、左ハンドルの自動車を運転した経験はなかった。

(五) 被告岩切は、本件自動車の運転に当たるのは貴晃か吉田であろうと考えたが、貴晃に対し本件自動車を貸与するに当たり、若い者には運転させないように告げ、具体的には被告上井戸や小山には運転させないように指示し、貴晃もこれを了承した。

また、被告岩切は、貴晃に対し、本件スキー旅行の間、本件自動車の代車として吉田所有車を提供するように求め、吉田は、貴晃の指示に従い、出発当日の朝、自宅から吉田所有車を運転してヴィヴィアンに運び、被告岩切は、同車の引渡しを受け、ヴィヴィアンでの仕事を終えた後、吉田所有車を運転して帰宅した。

(六) 貴晃は、右同日の朝、ヴィヴィアンでの勤務を終えた後、被告岩切から本件自動車のエンジンキーを受け取り、被告上井戸と吉田を同乗させ、同車を運転してヴィヴィアンからいったん自宅に戻って着替えをし、今度は吉田が本件自動車を運転して本件スキー旅行に出発した。

吉田は、まず、貴晃の自宅まで出向いた小山を乗車させ、次いで、中野の自宅に寄って中野と井之坂を乗車させ、栂池スキー場に向かい、約四時間後に宿泊予定のホテルに到着した。

ホテル前で荷物を下ろした後、被告上井戸は本件自動車を運転して、約五〇〇メートル離れた場所にある駐車場まで移動し、同所に本件自動車を駐車させた。

(七) 貴晃ら一行は、本件事故当日午前一〇時ころ、帰途につくことになり、被告上井戸が前記駐車場から本件自動車をホテル前まで運転して移動させ、荷物を積み込んだ後、吉田が運転して栂池スキー場を出発した。

貴晃、被告上井戸、吉田の宿泊代金は、吉田が貴晃に預けた財布の中から、貴晃が支払った。

吉田が本件自動車を運転してJR白馬駅まで来た時、貴晃は、被告上井戸に対し、吉田に代わって本件自動車を運転するように指示した。

被告上井戸は、貴晃から指示されたことであり、また、疲れもなく、運転が嫌だということもなかったので、吉田に対し、運転の交代を申し出た。

吉田は、運転の交代を望んではいなかったが、貴晃の意向には従うこととし、被告上井戸と本件自動車の運転を交代した。

(八) 中央自動車道長野線の速度規制は、塩尻インターチェンジまでは時速一〇〇キロメートル、その後は時速八〇キロメートル、塩嶺トンネル内は時速七〇キロメートルであったが、被告上井戸は、当日晩にはヴィヴィアンでの勤務が控えていて先を急いでいたため、時速約一一〇キロメートルで終始追越し車線を走行し、塩嶺トンネル内を通過中、運転を誤ってトンネル内側壁に衝突し、本件事故に至った。

本件事故当時、全員がシートベルトを着用していなかった。

(原告らは、貴晃は、本件スキー旅行に運転免許証を携行しなかった旨主張するが、甲第一三号証によっては右事実を認めるに足りず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。)

2  右によれば、被告岩切は、自己が経営するホストクラブの従業員とその愛人らが、勤務の休日を利用して一泊二日のスキー旅行に出掛けるにつき、そのことを知った上で本件自動車を貴晃に貸与し、その運転者について注文を付け、一方で、貴晃らに本件自動車を使用させることの見返りとして、吉田から吉田所有車の提供を受け、右スキー旅行の間これを使用したものであり、右の事実関係に照らせば、被告岩切は、本件事故当時も、本件自動車の運行支配及び運行利益を失っていたものではなく、なお、これを自己の運行の用に供していたものというべきである。

二  争点2について

右一の1の事実によれば、本件自動車は貴晃が被告岩切から借り受けたものであり、貴晃は本件スキー旅行の参加者中リーダー的地位にあり、帰途JR白馬駅以降の被告上井戸の運転も、貴晃が指示したことによるものであるから、貴晃も本件自動車の運行供用者であったものというべきであるが、貴晃は、本件自動車を、出発当日の朝、勤務先から自宅に戻る間運転したに過ぎず、その後は、吉田及び被告上井戸にその運転を委ねたものであり、また、貴晃は参加者中リーダー的地位にあったとはいえ、他の参加者を指揮、監督するような身分関係にあったものではなく、本件スキー旅行の往路及び帰路の全般を通じて、貴晃が本件自動車の運行を特に支配していたものということはできないから、貴晃による本件自動車の運行支配の程度が被告岩切のそれと比較して特に直接的、顕在的、具体的であるということはできず、原告らは、被告岩切に対し、貴晃が自賠法三条の「他人」に当たることを主張することができるものというべきである。

三  争点3について

前記のとおり、貴晃は、被告岩切と共に本件自動車の運行供用者の地位にあったものであり、また、被告岩切から本件自動車を借り受けるにつき、被告上井戸らの若い者には本件自動車を運転させないようにとの注意を受けていながら、これに従わず、しかも、被告上井戸が運転免許取得後一年に満たない初心者であり、左ハンドル車を運転した経験のないことを無視若しくは看過して、被告上井戸に対し本件自動車の運転を指示し、被告上井戸が制限速度を超える高速度で終始追越し車線を走行していたのに、これを注意せず、シートベルトも着用していなかったというのであるから、被告らが賠償すべき貴晃の損害額を定めるについては、衡平の原則及び過失相殺の法理により、相当額を減額すべきである。

そして、前記の事実関係に照らせば、右減額の割合は三割と定めるのが相当である。

四  争点4について

1  逸失利益 四七二三万八八六七円

(一) 証拠(甲一三)によれば、貴晃は、昭和六三年四月名古屋学院大学経済学部に入学し、大学在学中からホストクラブ・カーネギーにおいてホストとして稼働するようになり、単位の不足から一年留年したものの、結局卒業に必要な単位を取得することができず、同大学を退学したことが認められ、貴晃が平成四年一二月からヴィヴィアンにおいてホストとして稼働していたことは前記のとおりである。

また、証拠(被告岩切千洋)によれば、ホストとしての稼働可能年齢は、せいぜい三〇歳までであることが認められる。

(二) 原告らは、貴晃のホストとしての収入金額につき、貴晃がヴィヴィアンに就職する前に稼働していたホストクラブ・カーネギーにおける給料の平均月額七五万円を主張し、これを立証する証拠として甲第四号証の一ないし八を提出するが、ホストクラブ・カーネギーにおける給料をもってヴィヴィアンにおける貴晃の給料の額を推認することはできないのみならず、右各甲号証の作成の経緯も不明であるから、右主張は採用することができない。

(三) 証拠(乙一の1ないし5)によれば、貴晃のヴィヴィアンにおける給料(税金、積立金控除前)の額は、平成七年一月支給分が三二万三九五〇円、同年二月支給分が三九万〇八〇〇円、同年三月支給分が三〇万八四五〇円(平均月額三四万一〇六六円)であったことが認められるが、証拠(乙二、被告岩切千洋)によれば、ヴィヴィアンにおいては、売上金中客からの未収金は、ホストの負担となって給料から差し引かれ、ホストは未収金を直接客から回収することによって右負担の埋め合わせをする仕組みになっていることが認められ、これによれば、未収金中ホストが客から回収することのできた金額もホストの収入とみなすべきものであるから、右証拠(乙一の1ないし5)による金額をもって貴晃のヴィヴィアンにおける収入金額と認めることも相当ではないものというべきである。

(四) 原告らは、貴晃は、平成四年六月一〇日原告加納一夫が経営していた有限会社早乙女の代表取締役に就任し、平成四年七月以降月額一二万円の給与を支給されていた旨主張し、証拠(甲一五ないし二一)によれば、静岡県磐田郡浅羽町所在の右会社の商業登記簿謄本には、貴晃が右のとおり就任した旨の登記の記載があり、右会社及び貴晃の税務申告においては、貴晃に対し右給与が支払われた旨の処理がされ、貴晃名儀の駿河銀行袋井支店普通預金口座には右給与の振込みがされていることが認められる。

しかし、貴晃が、本件事故当時、ヴィヴィアンにおいてホストとして稼働していたことは前記のとおりであり、証拠(甲一三)によれば、原告加納一夫は、本件事故当時、貴晃を近い将来ホストの仕事から退かせ、有限会社早乙女の後継者として迎えたいとの希望を有していたことが認められるのであり、貴晃が、本件事故当時、右会社の経営に関与していたとの事情は全く認められず、結局、右会社における貴晃についての前記処理は、実態に基づくものではないものといわなければならないから、右会社からの給与についての逸失利益の主張は、採用することができない。

(五) 以上のとおり、貴晃のヴィヴィアンにおける収入金額を的確に認定する証拠はなく、しかも、貴晃のホストとしての稼働可能年数は極めて短期間であることを考慮すると、貴晃の逸失利益の本件事故当時の現価を求めるについては、平成七年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・男子労働者・学歴計の該当年齢層の平均賃金年額四二三万八〇〇〇円を基礎とし、就労可能期間を六七歳までの四二年、生活費控除割合を五割として、ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除するのが相当というべきであり、その金額は、四七二三万八八六七円(4,238,000×(1-0.5)×22.2930=47,238,867)となる。

2  慰藉料 二〇〇〇万〇〇〇〇円

本件事故の態様、貴晃の年齢、家族関係その他すべての事情を考慮すると、貴晃の慰藉料の額は、二〇〇〇万円と認めるのが相当である。

3  過失相殺等

右1、2の損害額の合計は六七二三万八八六七円となり、右金額から前記の過失相殺等として三割を減額すると、被告らが賠償すべき貴晃の損害額は四七〇六万七二〇六円となる。

4  相続

原告らは、貴晃の右損害賠償請求権を、法定相続分に応じて、二三五三万三六〇三円ずつ承継した。

(裁判官 大谷禎男)

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